塾講師吉田のブログ

宮城県で塾講師をしています

ここが変だよ自称進学校

「自称進学校」という言葉をご存知ですか?

いわゆる「進学校」は、他者からも進学校と認められるのに対して、自称進学校はあくまでも「自称」なのだ、というやや蔑称的なニュアンスがありますね。

何をもって進学校なのか、それとも自称進学校なのか、判断するのは難しい。しかしながら、高校生達の話を聞くとある興味深い事実?が発覚しました。

ちなみに地方の政令指定都市での話です。

 

1. 課題が多い

とにかく課題が多いです。私から受験勉強をするよう指示しても、学校の課題が多すぎて受験勉強できないと言う生徒が結構います。その課題が、本人の受験につながるようなものであれば良いですが、たいていはそうではないのが非常に残念なところです。個人個人、スタート地点もゴール地点も違うので、全員同一の課題ではどこかでミスマッチが起きるのは必然ですから。

これに対して進学校は課題がほとんど無いか、あるいは課題をしなくても何も言われません。自分自身の判断で取捨選択して学習することが求められているのでしょう。

 

2. 国立至上主義

これも「あるある」だと思います。確かに高校の大学進学実績を考えると、一人でいくつも合格できる私立大学よりも、原則一人一つしか合格できない国立大学の方が実績としてはカウントしやすい、ということあります。さらに地方だと、「高校は私立よりも公立が良い」という謎の風潮が親世代には未だ存在し、大学でも似たような風潮があることも拍車をかけているでしょう。自称進学校の進路指導では、国立大を受験することが既定路線です。ではその路線から外れて私立専願にすると…とても恐ろしいことが?

一方進学校では「行きたいところに行け」と、本人の意志が尊重されています。単に放任されている、とも言えますが。基本的に教師は生徒の進路に口を出してきません。

 

3.塾や予備校を敵視している

しかし模試は利用する!

よくある口癖の1つで「学校の授業で十分だ!」というものがあります。学校の授業は大学に合格するための十分条件だった!?

実際のところ、若い先生はそうでもないですが、ベテランの先生だと時代柄、塾や予備校に行かずに大学合格した人は多いと思います。しかもみな揃って高学歴だったりします。地元の有名(自称)進学校から、地元の国立大へ、そして母校を始め地元の高校で教師となる。この経歴の方想像以上に多いです。優秀なご自身の成功体験に裏付けられて、塾・予備校不要論を唱えているのではないでしょうか。

塾・予備校の人間でも高校を敵視する人はそこそこいるようですね。よくある手口で、自分達に自信が無いから、他者をこき下ろして相対的に自分を優位に見せているわけです。そもそも高校などの公教育と、塾や予備校などの私教育では、そのあり方が違うのだから双方棲み分けすれば良いだけの話です。

進学校では生徒が塾や予備校に通って文句をつけられることなどあり得ません。課外授業もほとんど無いか、任意なので、自分で塾や予備校を上手に利用していくことができます。なお、自称進学校での課外授業は実質的に強制であるところが多いらしいです。

 

 

進学校と自称進学校には、自由があるかないか、自主性を重んじるかどうか、いった点に違いがあるようです。

周知のように強制されて勉強しても、実はあんまり伸びないのです。自ら望んで管理型教育を受け入れるのとは全然違います。

義務付けられた課題など、いい加減に答えを埋めるだけで復習はもちろんしない。アリバイ作りのために、先生に怒られないために勉強をした「フリ」をする。時間だけが過ぎていき、大して身についてもいない。

自称進学校も入学するのはなかなか難しいところばかりです。生徒には優秀な方もたくさんいます。難関大学に合格しているのは、元々良く出来る生徒達なのでは?生存バイアス以外の何物でもないような気がします。